夏目漱石「こころ」を読み直してみた

会計士とは関係ない話題も気の向くまま書いてみることにします。

合格発表まで暇なので、いろいろと時間をつぶして過ごしています。最近は漱石の「こころ」を読み直していました。せっかくなので、特に気になった部分を引用&感想を書いておきます。

※「こころ」は、教科書で一部分を読んだのち、高校2年のときに一度通して読んだ記憶があります。今回はわりとゆっくりと全体を通して読んでいました。

 引用したいところが結構あったので、とりあえず序盤の「先生と私」の部分のみとしておきます。(以下、引用と感想)

夏目漱石 こころ

 

私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。(「先生と私」一)

→これを「わたし」が書いているのは、「先生」の手紙を読んだ後(しかも、それからある程度時間がたった後)と考えるのが妥当。であれば、「よそよそしい頭文字」という言葉は、Kに対する対抗心のあらわれのように読み取れるし、「わたし」の何らかの感情が込められた一文と思われる。

私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。(「先生と私」三)

→このあたり、「こころ」にはBL的要素があるといわれるゆえんだと思う。「過去にあなたと会ったことありませんか?」って、ナンパの常套手段かよ。

先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。

「君は恋をした事がありますか」

 私はないと答えた。

「恋をしたくはありませんか」

 私は答えなかった。

「したくない事はないでしょう」

「ええ」

「君は今あの男と女を見て、冷評(ひやか)しましたね。あの冷評しのうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」

「そんな風ふうに聞こえましたか」

「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」

(「先生と私」十二)

漱石の小説を読んでいるとたまに出てくる、100年前に書かれたとは思えないようなロマンチックなやり取りのうちのひとつ。最後の「解っていますか」がいいですよね。このやり取りも完全にBL的に捉えられるが・・・

ただ、この後に続く会話の中の、「異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来た」という先生の言葉は普遍的な意味で理解できる気もする。何というか、いずれも「人を知りたい」という根源では同じことという感じかな。